ちまちま通信〜パート2〜

子供と夫、ネコ2匹のささやかでほっこりした日常漫画パート2。

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今日のちまちま通信は文字だけです。ごめんなさい。
はじめてお目に掛る食物は別として、すでに食べたことのある食物については一つ一つ、思い出の淡い薄膜が埃のようにうっすらとかぶさっている。その思い出の薄膜ごと、あるいは薄膜の鹹味を通してくだんのものを食べるのである。

 

この出だしを読んで「あぁなるほど」と深く深く頷いてしまった。
確かに食べ物を思い出す時は、その上にゆで卵にくっついている半透明の薄皮みたいな、なかなか取りづらいものがへっついている気がする。

●「ひやむぎ」の薄皮

「ひやむぎ」という食べ物をあまり食べないのに、その言葉を聞くと、お湯に入れた時に立ち上る乾麺独特の酸っぱいような埃っぽいような匂いと一緒に、「俺、素麺よりひやむぎのほうが好きかもしんない」というちま夫の言葉がへっついて見える。
なぜかそういう時、ちま夫が言ったのだけは覚えているのに、夢の中の出来事みたいに顔も声も思い出せない。ただ言葉だけが本を読んでいる時みたいにゆらゆらと浮かんでいる。
薄皮は何層かになっていて、その下には茹で上がる前の「ひやむぎ」のまん丸くない断面図が大写しで見える。
何となく「素麺」はしゃっきっとするのに「ひやむぎ」を思い出す時は、だらっと蒸し暑い。

そして、何故か「素麺」より「ひやむぎ」を思い出す方が多い(ひやむぎの方が食べないのに、、多分思い出す機会が多くて食べた気になっている回数が多いのかもしれない。ちま夫、すまん)
こうやって、食べ物の薄皮を思い起こしてみて、私の食べ物の薄皮のほとんどに「ちま夫」か「子ちま」がいることがわかる。

ふと、猫はどうなんだろう?と思った。
キャットフードの微妙な味、ひとつひとつに何か薄皮みたいな「何か」があるのだろうか?
ヱビスとクロの頭の中を覗いてみたい。食い意地の張ったヱビスの頭には案外思いもよらない薄皮があるかもしれない。



一日一押していただけるとちま子は幸せでございます(笑)

堀江敏幸 めぐらし屋

5月から週に1度、図書館で働かせてもらっている(いいでしょ♪)

閉館前、仰々しいドボルザークの音楽が流れ「あと15分で閉館となります」とアナウンスが入ると、本が番号通りに並んでいるか見て回る。
986のサが985のエの隣で恥ずかしそうにしていたり、230のガの横に320のルがいたりする。そんな本を見つけたら、そっと抜き取って家に帰す作業。
本棚の縁の部分に本の端がきていると見やすいらしい。
教わった通りに本を戻すと「ほっ」とため息が聞こえる気がする。
日本の文学のコーナーをアから回る。回りながら「終わったら、ア○○の作家のとエ○○の作家さんを借りて帰ろう」と思う。でもアの段が終わりカの段の終わりに近づくと再び同じように「終わったら、カ○○の作家のとコ○○の作家のと借りなきゃ」と思っている。

先週は「堀江敏幸 めぐらし屋」を借りた。
家に帰って本を開いて「また、やっちゃった」と気がつく。

めぐらし屋を読むのはこれで3度目なのだ。
タイトルを覚えられない(人の名も覚えられない)せいか、タイトルだけ眺めても読んだ本なのかどうかわからないのだ。
2度目は「あ、この本読んだことある」と20ページ程読んだ所で思った。今回は3ページ目くらいで「また、やっちゃった」と思った。
どうしてだか、こうやって同じ本に惹かれる周期が決まっているように思う。
多分、私が自然に惹かれる本が私の周りをクルクルと回りながら、中心に向かって何かの粘液を出して出来たのが「私」なんだろうなぁと思う。

5ページ程読んで、本の内容まで思い出してくる。
でも読むのは止めない。この角を曲がると何があるのかわかっているけど、それが楽しくて仕方がない。
仄かに白く輝く沼がある。その沼を少し行くと大きなお屋敷もある。なぜだか道も白い。
空には黄色い傘が飛んでいる。
そして花いっぱいの倉庫が見えてきたと思ったら、突然話は終わる。

めぐりめぐって、何年か後に再びこの本を取りたくなる日がくるだろうと思う。

※本の内容とイメージは全く違います。


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