堀江敏幸 めぐらし屋

5月から週に1度、図書館で働かせてもらっている(いいでしょ♪)

閉館前、仰々しいドボルザークの音楽が流れ「あと15分で閉館となります」とアナウンスが入ると、本が番号通りに並んでいるか見て回る。
986のサが985のエの隣で恥ずかしそうにしていたり、230のガの横に320のルがいたりする。そんな本を見つけたら、そっと抜き取って家に帰す作業。
本棚の縁の部分に本の端がきていると見やすいらしい。
教わった通りに本を戻すと「ほっ」とため息が聞こえる気がする。
日本の文学のコーナーをアから回る。回りながら「終わったら、ア○○の作家のとエ○○の作家さんを借りて帰ろう」と思う。でもアの段が終わりカの段の終わりに近づくと再び同じように「終わったら、カ○○の作家のとコ○○の作家のと借りなきゃ」と思っている。

先週は「堀江敏幸 めぐらし屋」を借りた。
家に帰って本を開いて「また、やっちゃった」と気がつく。

めぐらし屋を読むのはこれで3度目なのだ。
タイトルを覚えられない(人の名も覚えられない)せいか、タイトルだけ眺めても読んだ本なのかどうかわからないのだ。
2度目は「あ、この本読んだことある」と20ページ程読んだ所で思った。今回は3ページ目くらいで「また、やっちゃった」と思った。
どうしてだか、こうやって同じ本に惹かれる周期が決まっているように思う。
多分、私が自然に惹かれる本が私の周りをクルクルと回りながら、中心に向かって何かの粘液を出して出来たのが「私」なんだろうなぁと思う。

5ページ程読んで、本の内容まで思い出してくる。
でも読むのは止めない。この角を曲がると何があるのかわかっているけど、それが楽しくて仕方がない。
仄かに白く輝く沼がある。その沼を少し行くと大きなお屋敷もある。なぜだか道も白い。
空には黄色い傘が飛んでいる。
そして花いっぱいの倉庫が見えてきたと思ったら、突然話は終わる。

めぐりめぐって、何年か後に再びこの本を取りたくなる日がくるだろうと思う。

※本の内容とイメージは全く違います。