今日のちまちま通信は文字だけです。ごめんなさい。
はじめてお目に掛る食物は別として、すでに食べたことのある食物については一つ一つ、思い出の淡い薄膜が埃のようにうっすらとかぶさっている。その思い出の薄膜ごと、あるいは薄膜の鹹味を通してくだんのものを食べるのである。

 

この出だしを読んで「あぁなるほど」と深く深く頷いてしまった。
確かに食べ物を思い出す時は、その上にゆで卵にくっついている半透明の薄皮みたいな、なかなか取りづらいものがへっついている気がする。

●「ひやむぎ」の薄皮

「ひやむぎ」という食べ物をあまり食べないのに、その言葉を聞くと、お湯に入れた時に立ち上る乾麺独特の酸っぱいような埃っぽいような匂いと一緒に、「俺、素麺よりひやむぎのほうが好きかもしんない」というちま夫の言葉がへっついて見える。
なぜかそういう時、ちま夫が言ったのだけは覚えているのに、夢の中の出来事みたいに顔も声も思い出せない。ただ言葉だけが本を読んでいる時みたいにゆらゆらと浮かんでいる。
薄皮は何層かになっていて、その下には茹で上がる前の「ひやむぎ」のまん丸くない断面図が大写しで見える。
何となく「素麺」はしゃっきっとするのに「ひやむぎ」を思い出す時は、だらっと蒸し暑い。

そして、何故か「素麺」より「ひやむぎ」を思い出す方が多い(ひやむぎの方が食べないのに、、多分思い出す機会が多くて食べた気になっている回数が多いのかもしれない。ちま夫、すまん)
こうやって、食べ物の薄皮を思い起こしてみて、私の食べ物の薄皮のほとんどに「ちま夫」か「子ちま」がいることがわかる。

ふと、猫はどうなんだろう?と思った。
キャットフードの微妙な味、ひとつひとつに何か薄皮みたいな「何か」があるのだろうか?
ヱビスとクロの頭の中を覗いてみたい。食い意地の張ったヱビスの頭には案外思いもよらない薄皮があるかもしれない。



一日一押していただけるとちま子は幸せでございます(笑)